70までは生きて

おはようございます

「自分がどうあるか」 つたえびと みっこです。

日曜日〜火曜日まで、私の妹がいる名古屋にいました。

帰りは新幹線
別れるときは、こんなしんみり...

車内でも、しんみり。

一緒にいるときは、ケンカだの、取り合いだの、なんだのかんだのなのにね。

息子はわかれてすぐに泣くタイプ

「ママ、かなしい」

そうだね。かなしいね。
また、会いに行こうね。


娘は1時間後に泣くタイプ。

ひっく、ひっく、ひっく...

「ママ、めーちゃんたちといるときに、もっと楽しいことしたら良かった」

そうだよね。
その時間っていうのはもう取り戻すことができない大事な時間なんだよ。



母は、いつもいう。

誰しも明日あるかわからないいのち


なにげない1日がその人との最後の1日になったりする。

相手の最後の日もだし
自分の最後の日もだ

そうしたら、どうやってその時間をつかうかは、自分でしっかり決めていかなくちゃいけない。


昨年、他界した父。

とても元気だったのに、急な脳梗塞で9ヵ月会話もできないまま、逝った。


意識のある最後は、うちの子どもたちに病院でジュースをおごってくれた。

入院中はお金を私が管理していたので、父が私に
「お父さんのお金、少しくれないか」

私は、入院中はなにも買えないしいらないのにと思ったんだけど

「どうした?」
と聞いたら

「子どもたちにジュースを買ってやりたいんだ」
と。

あまり、ジュースは買わないし、買うなら私が買うからいいよ...とココロの中で思いながらもお金を渡した。

それはそれは嬉しそうに孫達にジュースを買ってあげていた。

そして、また、孫達も今なお
「じぃじ、ジュース、買ってくれたよね」
と覚えている。

お金を稼ぐことが自分の価値だった世代の人たち。
必要ないからと持たなくなったら、自分の価値を失ってしまうことも。


その日の夜、高熱にうなされ、脳梗塞になった。


話せたのは、そこが最後。



こんなことを娘と振り返る。


「ママはね、あのじぃじ、との最後の時間、みんなが笑顔で良かったって思ってるんだ。だれもあの時間が最後になるなんて思ってもないんだよ。だったら、その日その日をどう過ごすかだよね。ママ、いつも言ってるけど、明日死んじゃってるかもしれないんだよ」


娘「(*꒦ິ⌓꒦ີ)(*꒦ິ⌓꒦ີ)(*꒦ິ⌓꒦ີ)」

70までは生きて...



いやいや、もうちょい生きようかと思ってるんやけど(^^;;

まぁまぁ、こんな感じで我が家は毎日、いのちをベースにモノゴトが繰り広げられている。


その時間をどうすごすのか

その時間をだれとすごすのか

その時はどんなことばを発するのか



なにげない1日で終わらせていくのはもったいない。

ちゃんと意識して生きていかないと
知らない間に死んでるかもしれないんだ


だからこそ

いかされているいのちに感謝。
「生きてるだけでまるもうけ」

Ciao〜




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